自分の事です。

株式会社 相生は、平成1611月に出来た会社です。その前身は「有限会社 相生」と「有限会社 ゆうなぎ」という会社が合併して出来た会社です。

「有限会社 相生」の代表者 筒井さんとは古くからの知り合いで私が東京で仕事をしていた時の同僚です。「有限会社 相生」の主な業務は不動産取引です。「有限会社 ゆうなぎ」は私が介護保険事業を自分で始めたくて作った会社です。

「有限会社 ゆうなぎ」で実施予定だった介護保険事業は、「認知症対応型共同生活介護」いわゆる「グループホーム」といわれているものです。昨今「グループホーム」は乱立しており私の住んでいる地域でも、ここ2〜3年で新たに6箇所も出き、国も色々と規制をかけてきております。グループホーム設立には、事業実施予定地の市町村に「意見書」といったものを、書いて頂ければならずなかなか作成して頂けないのが現状です。

なぜ私が「グループホーム」をやりたいかは、私の職歴をまず話させて頂きます。

文面の最初に東京での仕事とありますが、元々私は東京で親と26歳まで暮らしておりました。東京での仕事は、いわゆる「バイク便」の仕事で、簡単に言えばオートバイによる運送業で、小さなパソコンの部品から大きな荷物まで、雨の日も雪の日も毎日オートバイに乗っておりました。

(多分普通の人の一生分乗った気がします)26歳の時にこのままオートバイに乗っていてもしょうがなく、なにか人の役にたつ仕事がしたいと漠然とした思いで会社を退職しました。半年位はアルバイトをしたりしておりましたが、自分のやりたい事が見つからず、自暴自棄になっておりました。ふとした事で、お年寄りをお世話する仕事がしたいと思い、すぐに職安に行き相談しましたが、介護資格も経験も無い私を雇って頂けるところは無く、結局他県も探してみようと思い、千葉県内の施設、端から順番に電話しまくりました。一箇所で私の事を興味をもって頂いた施設長が「非常勤でよければ」と言って下さり、私の最初の介護職経験の場になりました。そこは「特別養護老人ホーム」で80人のお年寄りが生活をしている場です。そこで
7年間在職し介護福祉士(平成12年)もとり、退職間際に受けた介護支援専門員(平成13年)も合格しました。

 そこでの7年間の在職時に、色々考え悩み「グループホーム」が自分の一番やりたい介護の形態と思いました。その後2箇所での「グループホーム」での経験で管理者ではなく経営者にならないと本来の自分の考える介護は出来ないのかと思うようになりました。「痴呆介護者専門課程」の研修で知り合った方がおりこの方は、私と歳も変わらずご自分で2ユニットの「グループホーム」を経営されており、「それだけの資格と経験があるんでしたら、自分でやれますよ」この一言で、自分で「グループホーム」をやるぞという考えが固まりました。今まで色々な人と出会い、経験もさせて頂きました。施設で在職時私はいつもひとつの事を考えていましたが、結局答えが出ませんでした。今は自分なりに答えを出しておりますが、それで結論が出た訳ではありません。「介護て何だろう?」いう疑問です。私なりの答えは、たいした事ではありませんが、

「対等な立場で、普通に接し、当たり前の事が出来るよう、出来ない部分だけお手伝いする」

簡単なようで、これがなかなか難しいんです。
今は、一歩一歩といった所です。
私の年齢は、昭和42年3月28日(神奈川県にて生まれる)生まれで、平成17年5月時点で38歳です。

 今は、居宅介護支援事業所の介護支援専門員をしてます。
上の文章を読むと「あれ?」と思う方もいると思いますが、グループホームを辞めてから2年位介護支援専門員をしておりました。在宅の仕事は興味が無かったのですが、知人の介護支援専門員から頼まれたのがきっかけで、在宅の介護支援専門員をしてました。
今は、介護支援専門員が辞められなくなってます。
現場の仕事と違い、家族と接する機会が多く、介護の仕事の奥深さを痛感し、またやりがいも感じてます。
「グループホームはどうするの?」と思うかもしれませんが、前文で「管理者ではなく経営者にならないと本来の自分の考える介護は出来ないのかと思うようになりました。」と記載してますが、まさにこの通りになると思います。

経営者 = 一番お金が入る立場 では無く

経営者 = 最終的に責任をとる立場

よく「決定権があるという事は、責任が問われる」と言いますが、まさにその通りであり私は、利用者・家族・職員が満足出来るように縁の下の力持ちに、徹するつもりです。